ビーチバレーボール(英語:beach volleyball)は、バレーボールから派生した球技の1つです。砂浜にネットを張ったコートで、2人1組のチーム同士で対戦します。
アメリカ発祥のビーチスポーツで、1996年のアトランタオリンピックよりオリンピックの正式大会種目となりました。
1992年のバルセロナオリンピック開催期間中には、スペインのアルメリアで5大陸から100人以上の選手が参加し、公開競技が行なわれました。
これらの盛り上がりを受けて、ビーチバレーボールは、1996年のアトランタオリンピックでは夏季オリンピックの正式種目となりました。
アメリカ、ブラジル、オーストラリアの3か国がビーチバレーボールの強豪国として知られています。著名なビーチバレーボール選手には室内のバレーボールから転向したプレーヤーが多いです。
アメリカのカーチ・キライ、シンジン・スミス、ランディ・ストクロスらの活躍はアメリカ国内のみならず国際的なビーチバレーボール人気を高める原動力となりました。
ブラジルからもエマヌエル・レゴやリカルド・サントスらのスター選手が登場しました。女子選手ではミスティ・メイやケリー・ウォルシュらがおもな選手として挙げられます。
ビーチバレーボールは1920年代はじめ、アメリカ、カリフォルニア州サンタモニカのビーチレジャーとして始まったのが発祥とされています。
その後、ヨーロッパに伝えられ、1927年にはフランスのヌーディストビーチにおけるレクリエーションとして親しまれました。草創期には6人制で行なわれていましたが、1930年にはダブルスで競技した記録が残っています。
1950年代のアメリカでは美人コンテストやテレビ番組とタイアップしたショーの一部としてビーチバレーボールがメディアの注目を集めました。
日本では川合俊一らが先駆となり、1987年、湘南・江の島海岸で第1回ビーチバレーボールジャパンが開催されたのをきっかけに、ビーチバレーボールが広く認知されるようになりました。1989年には日本バレーボール協会が日本ビーチバレー連盟を発足させています。
オリンピックには女子がアトランタ大会以降連続出場しており、アトランタオリンピックでは高橋有紀子・藤田幸子組が5位、シドニーオリンピックでは高橋有紀子・佐伯美香組が4位に入賞しています。
2002年、西村晃一と浦田聖子は日本初のビーチバレーボールのプロチーム、ウィンズを設立しました。
ビーチバレーボールのルールにおける使用器具や用具の規格
ビーチバレーボールのコートサイズ は、16×8mの長方形でサイドライン&コートラインの幅を含みます。コートの周囲(Free Zone)は、コート・エンドラインから5〜6mのスペースを必要とすることとします。
コートラインは、 サイドラインとエンドラインは幅5〜8p以内です。素材は耐久性に優れたライト判断できる色のついたものを使用します。インドアバレーのアタックライン、センターラインはないです。
サービスゾーンは、 サーブを打てる場所です。。コートエンドの後ろ、サイドラインの間。エンドラインからフリーゾーンの間でおこないます。
ビーチバレーボールは天候は、雨天でも開催します。しかし、プレーヤーに危険が及ぶと判断される場合(雷、雹など)は試合不可となります。
ビーチバレーボールのネットは、 長さ8.5m、幅1m(±3cm)網目1マス10cmであることとなります。ネットの水平方向上下に5〜8p幅のバンドがつきます。